読谷山花織とは、紋織の一種で幾何学模様を色糸で浮かせ、その中に絣模様をあしらったもので、着尺・帯・手巾などがあり、そのほか飾布や花瓶敷としても用いられています。原材料は、糸に木綿または絹糸を使い、天然染料の藍や福木、テカチ、グール(サルトリイバラ)等を染料としています。同時期に製作されていた読谷山ミンサーは、「細帯」の事で木綿を原材料とし、ティバナ(縫取り織の一種)で紋綜絖がなく、紋糸を手ですくい織り込む手法で作られていました。
読谷山花織・読谷山ミンサーの歴史は、はるか14世紀にまで遡ります。1372年に琉球から初めて中國へ朝貢したという泰期は、読谷・宇座出身。彼の第一歩をきっかけに、1420年頃になると琉球王国は大貿易時代を迎えます。その時に中国や東南アジア各国から伝来したのが、読谷山花織のルーツとなる絣や浮織の技法でした。この技法をもとに、独自に発展していったものが読谷山花織で、その技法は代々受け継がれていきます。しかし、明治初期に琉球王国から沖縄県へ変わるのと時を同じくして徐々に衰退し、沖縄戦以降は人々の記憶からもすっかり忘れ去られてしまいました。
ところが、1964年のこと。読谷村の情熱有る有志によって「幻の花織」が復興。技術講習会を行うことで人々の関心が高まっていきました。1975年に沖縄県指定無形文化財、翌1976年に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されます。また、同年には読谷山花織愛好会が読谷山花織事業協同組合へと発展。1999年復興に向けて中心的な役割をはたした与那嶺貞氏が「人間国宝」に認定。現在では、読谷村のみならず沖縄を代表する工芸品として認知され、日本全国、そして世界にまで幅広く知られるようになりました。
原材料 | 絹糸・綿糸 |
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主な製造地 | 読谷村 |
主な製品 | 着尺・帯地・ミンサー・テーブルセンター |
組合名・設立年月日 | 読谷山花織事業協同組合・昭和50年 |
国指定伝統的工芸品指定年月日 | 昭和51年 |
県指定伝統工芸製品指定年月日 | 昭和49年 |
出典 | 工芸産業振興施策の概要 |
現在、読谷山花織・読谷山ミンサーは、すべて読谷村で生産しています。明治の中頃に一度衰退しましたが、昭和36年頃から再興の気運が高まり、昭和48年から本格的な生産活動が始まりました。昭和56年には、読谷山花織とヤチムン(陶器)の振興を図るため「読谷村伝統工芸総合セター」が建設され、読谷山花織の生産拠点として活用されています。また、平成21年7月には地域ブランド「読谷山花織」の商標登録を受けました。着尺や帯、ミンサー以外にもネクタイやテーブルセンターなどの製品も生産しています。