おきなわ工芸の杜おきなわ工芸の杜

概要・歴史

琉球漆器はデイゴやガジュマル等の自然木を木地とし、天然漆によって仕上げられています。他の追随を許さない鮮明さや華麗さを持ち、黒塗りと朱塗りの大胆なコントラストは明るく暖かい南国沖縄の風土そのものです。中国から伝わった沈金や螺鈿のほかにも、沖縄の堆錦など多様な加飾技法もまた特色のひとつといえます。
正確な起源は不明ですが、15世紀に製作したと見られる沈金の丸櫃が久米島に現存しています。また、琉球王国の公文書等が収録されている「歴代宝案」には、明や朝鮮、日本等に漆工芸品を輸出していた記録が残されています。1609年以降、漆器は将軍家への献上品となり、琉球王府に置かれた貝摺奉行所を中心に生産されました。今次大戦では壊滅的な打撃を受けましたが、戦後間もなく再興し「琉球漆器」は、昭和49年6月11日に県指定伝統工芸製品、昭和61年3月12日には国指定伝統的工芸品として認定されています。

基本情報

原材料天然漆、デイゴ、エゴノキ、センダン、ハマセンダン、イヌマキ、ガジュマル、スギ
主な製造地那覇市、浦添市、糸満市、沖縄市、中城村、豊見城市、南風原町
主な製品盆類・鉢・銘々皿・重箱・碗類 など
組合名・設立年月日琉球漆器事業協同組合・昭和52年6月17日
国指定伝統的工芸品指定年月日昭和61年3月12日
県指定伝統工芸製品指定年月日昭和49年6月11日
出典工芸産業振興施策の概要

主な製造地

那覇市、浦添市、糸満市、沖縄市、中城村、豊見城市、南風原町

戦争で壊滅的な打撃を受けた琉球漆器ですが、現在は那覇市、浦添市、糸満市、沖縄市、中城村、豊見城市、南風原町で生産され伝統を守り続けています。
戦後駐留軍向けの嗜好品や土産品作りから再出発し、幾多の障害と戦いながら、昭和13年に主要企業が中心となり「琉球漆器工業組合」が設立されました。その後、産地振興や地域経済発展に寄与することを目的として、昭和52年6月に「琉球漆器事業協同組合」と発展・改称されました。昭和55年度には、原材料の貯木施設の建設や、沈金の技術研修事業がおこなわれるなど振興が図られています。日常生活に取り入れやすい箸や碗などの製品を生産しています。

おきなわ工芸の杜について

当施設の基本情報や伝統工芸品の歴史、おきなわ工芸の杜』が果たしたい役割について紹介しています。

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